死にたいって簡単に言うな なんて 簡単に言うな
前回、篠田市長が来てくれたときに、
今ががこわれ者のピークだから!とうわさされ
あとは落ちて行く一方ともっぱらの評判なのですが、
今回は強力なお二人が参戦そしてくださってこわれ者はまだ続きます!
あがったりさがったりする躁鬱スタイルなだけです!
いつまでもそんなことしてたら成長しないよなんて、
笑わせることも笑われることもなにが違うんですか。
笑われたっていいじゃないですか、同じただの笑顔なんですよ。
そして、あなたの居場所になればいい。
わたしはいつも当事者でいたいと思う。
いつも、どこにいても、いてもいなくても同じような存在だったから、
わたしはずっと、何かでありたくてたまらないんだ
いつもいつも自分が何者か分かるところにいなくちゃいけなかった。
だって、自分っていうだけしかなくてどうやって生きていけばいいの。
二次元オタになりきれない、三次元アイドルにもはまりきれない。
集団の中にヒエラルキーがあるとしたら
別になんの意見もないからどの分類にも入れない。
ああなったらおしまいだ
あいつはもうダメだよ
みんな「自分の属してるカテゴリ」が安全だと思ってる。
でも、逆の方向から見れば「あいつら」と同じように、
今度は自分たちが「あいつら」っていうくくりになっていること。
人間は分かりやすいものが好きだから。
名前や呼び方にこだわってカテゴリ分けをして
明確にすれば安心をするから。
やってらんないから笑うしかないだけなんです
なのに真剣に考えてないって言うなよ
お前こそ真剣にこの立場になってみろよ
真剣に考えて、
自分をどうにか生き延びて、
どうすれば会話が続くんだろうとか
どうすれば友達ができるんだろうとか
普通そういうことしないでしょっていう「普通」と何が違ってたのか
自分以外のみんなが素晴らしい人間に見えてたまらないことだとか
血縁から「お前は小さいころから頭がおかしかった」ってはき捨てられたことだとか、
ちゃんとしないと周りがかわいそうでしょうなんて言う周囲の言葉や
真剣に考えて考えて、考えて、もう笑うしかなかったことに。
真剣に考えてないって言うなよ!!!!!!!
真剣に考えて生き延びてきた自分が
いまここにいるに決まってるだろ!!!!
それしかないだろ
そうするしかないだろ
本人にしか見えないことって、やっぱ、
あるんです
という、わたしはあなたとは違うんです的な特別意識で保ってるわたし。
自分でいたくないから大きな集団にまぎれこみたい、」
多数決でいつも勝つ側にいたい、
そうだよねわかりあいたい、
多数派でいたい、
長いものに巻かれていたい。
そう、長いものに巻かれたくてたまらないんです。
そのくせに残りのたった1%の
ミジンコみたいな自我が主張し続けている。
ジリジリするようなどうにもならない毎日が過ぎてもまた明日がくること、
みんな同じ現実を生きていてみんな自分の命と生活があること。
これってギリギリセーフなの?
この現実も全部セーフなの?
お茶碗に山盛りにして飲み込んだ処方薬の数も、
人と会った後、一人になってから切り刻んだリストカットの数も、
毎日毎日いくら乗り越えてもまだ続いていく毎日のことも、
逃げてもいいなんて言われてもレールからはずれた時の生き方が分からないことも、
鬱のときに止まない雨はないよとか気候のハナシをされても全然響かないことも、
許せない犯罪者が事件前に書き溜めていた言葉に共感する人の多さも、
それを見て「これは自分だ…」と泣いてしまったことも、
気持ち悪いからって机がくっつかないように数センチだけ離されることも、
これってギリギリセーフなの?
この現実は安心して生きる安全なものなの?
ほんとうにセーフなの?
もういい年のくせに、
同世代の子達にさらされなくてすむように、
イトーヨーカドーの紳士服売り場のトイレの前のベンチですごした
一人ぼっちの放課後は今でもわたしの思い出す青春で、
何歳になってもあの頃の自分がわたしの中にいて、
こうして引きずったまま女々しく垂れ流しているだけです
どのくらい時間がたっても消えない
あのときのわたしのままです
去年の年末、新宿中央公園の炊き出しで音楽ライブがあるとのことで遊びに行きました。
たき火に当たりながらいろんな野宿者のおっちゃんと話をしました。
公衆トイレの真横で立ちションをするおっちゃん。
いやいや、あと数歩横に行けばトイレあるじゃん!!!!!!
と全力で言いたい気持ちをグッと我慢しました。
路地の真ん中で寝がえりをうつおっちゃん。
ちょっと!猫に匂いかがれてるよ!!!!!!
と全力で言いたい気持ちをグッと我慢しました。
どーしてこんな寒いとこにいて…こたつで紅白見てればいいのに
まあ俺はホームレスだけどなーと笑うおっちゃん。
この前イノキがホームレス支援の炊き出しに来てティーシャツくれたんだぞ
と見せようとしてコートのチャックを下ろしても
中に服を着込みすぎて脱いでも脱いでもティーシャツが出てこなかったおっちゃん。
カラオケ大会では手拍子を2倍の速さでたたいて
演歌なのになぜかすごく忙しい運動会みたいになっている中、
「よーし、来年はいい年になるぞー」って笑ってた人の声が
わたしにとってすごく希望になったような気がしました。
いまも、気分はいつでも紳士服売り場のトイレ前ベンチに座ってるあの感じです。
人間ってそうそう変われないけど、
変われなくてもまぁなんとかなる逃げ道を少しずつ増やして引きずりまくって、
そんでできるだけどうにか生きのびていくくらいの力は、ある、かもしれない。
メンヘラ当事者ということでしかないわたしは
無知だからなにか小難しい訴えや、
ショーガイシャ頑張ってます!的なキレイなことはできません。
だって生きてれば誰だって頑張るでしょ。
だれにでも多少なりともなにかを頑張ったこともあるでしょう。
それなりになにか生きるために苦しんだりするでしょ。
そして何より「頑張らないこと」もたくさんあるでしょ。
特にわたしなんか長いものには巻かれたいから
張り切って頑張らないことが多いです。
頑張りたくない!頑張りたくないよー!手抜きしたいよー!楽して生き延びたいよー!
傷つきたくないよー!一人はやだけど嫌われるのがこわいから一人になるのはもういやだよ!
楽したいよ!頑張りたくないよー!なにもしたくないよ!
できるだけ、そういう感じです。
だから何かを変えようなんてなんもないです。
大丈夫だよとか死んでも言いたくない。
やっぱり今年も励ましなんかふりまかないぞ、勇気なんかなんもないぞ!
その代わり、わたしなんかこんなダメだよ、分かるわーそれ、って言い続けたい。
一貫してそれしかないです。
それしかできることない。
傷をなめあって生きてくなんてとんでもなく前向きだと思います。
他人に頼りまくってどうにかしてもらいまくって自分の意見を誰かにゆだねて
できれば、
できればどうにか、
どうしても、できるだけ、生きていてほしい。
できるだけ生きててほしい。
どうにか生きててほしい。
あなたに生きててほしい。
いつかのわたしかもしれないあなたや、
いつかのあなたかもしれないわたしや、
死んでしまえと思った血縁や、
死ねよっていう気持ちも、
死を選んでしまったあの子の存在も、
その事実も、
あの現実も、
炊き出しで会ったおっちゃんも、
どうにか生きててほしいし、
生きているなら、できるだけ、幸せになってほしい。
さだまさし的なあれです、できるだけでいいから。
できるだけ、でいいから!
できるだけ、で、いいから!
生きてほしい。
わたしはいつも、いてもいなくてもいい存在だったので
あだ名なんてついたことがなかったのだけど、
ツイッターで知り合った元野宿者のおっちゃんが
俺は横文字が苦手だから…といってわたしを「成宮あっちゃん」と呼んでくれた。
わたしは、別にアイコって横文字じゃないんだけどなと思いながら、
とにかく、わたしは、
人生で始めてあだなをもらった。
なんかもう何もかもやめたいやって笑ったわたしに、
抜けた歯がチャームポイントの作業着姿のおっちゃんが言った。
「あっちゃん、人生はいろんなことがあるよ。
おっちゃんも死にたいって思ったことがある。
でもね、自分の中に愛がひとつでもあればね生きていけるから」
こわれ者の祭典だって、一瞬だけの通りすがりで
誰かの人生の中で、出会いにも満たないようなものかもしれない。
話をして分かったような顔はできないなと改めて思ったけど
それでもまたハナシがしたいなと思う。
理解したいわけじゃなくて、ただただ知りたい。
その気持ち分かるわーって言われたくてたまらない。
そういうことあるよねーって言いたくてたまらない。
願っても願っても叶わないことはあります。
頑張っても想っても叶わないことがあります。
なくしてしまったものが欲しくて欲しくてたまらない気持ちもあります。
わたしはやっぱり、多分自分の過去を乗り越える日はこないと思います。
そして、最近、気付いたのは、
乗り越えない生き方もなんとかまぁできるみたいだということです。
だってわたし乗り越えてない。
でも生きてる。
そして、あなたもそこに生きてる。
それで全然いいよ。
自分にとっての、できるだけ、で、十分じゃん。
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